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塾長日記

勉強ではなく「みんながやるから、ぼくも(わたしも)やる」が尊ばれるところ

日本の教育は、いまだ高度経済成長期をけん引した製造業時代の「従順で正確な作業が出来る労働者」を量産するシステムです。

これが日本社会の安定という面で大きく寄与しているのは明らか。

治安の良さ、サービスの品質の(異常なまでの?)高さ、従業員の従順さ、などには大きく貢献している。

その弊害として「個性を徹底的になくす」ことがある。

 

みなさま経験していらっしゃると思いますが

「みんながやるから、ぼくも(わたしも)やる」という姿勢が、勉強よりも何よりも尊ばれませんか?

 

現実の学校(塾も?)の様子を見てみれば、授業の内容はどうあれ、子供を静止させている授業が「よし」とされます。

それがよい授業だとみる傾向は確かにある。

「みんなが姿勢よく授業を受けているから、自分も受ける」この姿勢が何よりも素晴らしいことだということ。

私語や忘れ物、勝手な行動のような規律を乱す行為は最悪と評価される。

 

学校は「勉強による学力を評価する場所ではない」というのは言い過ぎではないのかもしれない。

学校のモデルは軍隊と刑務所ですから。

成績も学力が評価されないというのは、当たり前の話なんです。

高校受験、公立中高一貫、はこれが評価されるのですけどね。

だからもやもやしたものが、いつまでも残る。

 

 

そんなことを言っている間に、データ資本主義の時代が到来して

日本はそれをコントロールする人材がとにかく少ない。

大量のデータを送受信するための5Gサービスの展開も、だいぶ遅れ気味。

AIが得意な、統計の計算では、一番確率の高い道を選択してくれます。

証券会社なんて人でなく、AIがコントロールしているのが当たり前の時代。

これからは勉強の出来るホワイトカラーのようなポジションは危うくなる(なくなる)のではないでしょうか?

 

かえって勉強が好きでない人が就く「介護や看護や保育士」「運輸業、建築現場」などで一流になる方が、食いっぱくれがなさそうな気がします。

ホワイトカラーのようなポジションにつきたいなら、データサイエンスが理解できないと未来はない感じすらします。

でも肝心な小学校で数学わかっている人っているのか???

 

まちがった時代遅れの勉強を一生懸命やることで、

そうした子供たちの仕事がなくなっていないことを、切に願います。

 

 

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